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リムショット [日々思うこと]

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いきなりですが、リムショットのお話し。
僕はリムショットが大好きだ。
リムショットとは何か?
これは至って単純で、
ドラムの皮の部分と、周りの金属の輪っかを同時に叩くテクニックである。
ただそれだけの事なのだが、
楽しい。楽しすぎる。(笑)
逆に言えば、難しく奥が深いテクニックでもあるのだが。
最近楽しくってしょうがないのが、
ダイナミクスコントロールをプラスしたリムショット。
特に極々小さい音でリムショットをかけるプレイ。
これは本当に楽しく、シンバルとの音のブレンド具合なんかを意識しだすと、
ほぼ永久に楽しめるかなと(笑)
そこを楽しみつつ、フィジカルな面での試行錯誤も加えていくと、
もはや地味なエクスタシーすら感じる(笑)
硬い金属の音の成分を含みつつも
胴鳴りさせ、ふくよかなな低域を同時に出す。
この感じの音を力で出すのでなく
身体の使い方とタイミングで出せるようになってくると
ドラミングの次元が違ってくると思う。
最近、練習はしているのだが、
今一行き詰まってるなぁ〜なんて人は
リムショットの練習をおすすめする。
リムを浅めにかけてティンパレスのように
「カーン」と鳴らしたり、
少し深めにかけて
「ズドーン」
というイメージで鳴らしたり
はたまたカサカサといわすゴーストノートのとのコントラストを
楽しんだり、
タムにリムをかけたり、
リムショット連打でどこまでキレイなシングルストロークができるか
試してみたり、
わざと胴鳴りさせずペラペラなローファイな音を出してみたりと
リムショットを使った遊びは無限だ。
個人的にリムショットはハンドテクニックにおいては
シンバルワークと並んで双璧をなす重要なものだと思っている。
と同時にドラミングテクニックというよりは
音楽、曲そのものに必要な音だと思う。
耳を澄ませて時にあなたの好きな曲を聞いてみて欲しい!
そこにはドラマーが奏でる素敵なリムショットが
その曲の感動をプッシュしているはずである。
今回はなんだかマニアックなお話になりましたが、
リムショットは素晴らしい、万歳!(笑)



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さなぎ [日々思うこと]

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今年も終わる。
あともう少し。
いろいろとあったような、
なにもなかったような、
個人的にはなんだかさなぎになったような
そんな1年だったな。

最近音楽を通じて知り合った人たちの消息を知る。
メジャーで活動してる人(数人)
インディで活動してる人(実は一番うらやましい)
ライブハウスを起こしてしまった人(このブログにも書きました)
ライブハウスの店長の人(なつかしいな〜)
お笑いタレントになった人(いや〜びっくり)
作家になった人(幼なじみ)
アイドルだったのにやめた人(先輩)
音楽を趣味に切り替え、田舎に帰った人(先輩)
世界的に活動してる人(後輩)
世界的に活動していたが、日本に帰ってきて数年でバリバリ
活動してる人(さすが!)
でたかった富士ロックに出た人(いいな〜)
ユーチューブでいきなり有名どころと競演してる人(びっくりしたな〜)

いや〜みんなすごいな。
ちょっと誇りを感じるとともに、
かなりの取残された感が。
以前の僕ならば、鬱となったまま
気ばっかり焦って空回りだったと思うが。
まあ今はこれでいいや。
今はさなぎでも
あわよくば成虫となり
世界を飛翔してやるぜ!
と素直に思える年末でございます〜

今年もこのブログを読んで頂きありがとうございました。
来年もまたよろしくお願いいたします〜!

ちなみに写真は長女が3歳のころに描いた絵で
たまごを抱いた怪獣
やはり芸術は子供のものだ〜




働くということ(2) [日々思うこと]

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たまには仕事のことでも。
仕事先の人間関係は僕にとって厄介な代物だ。
何年経っても明確な答えはないし、
たぶん働いている限り、
それは見つからないだろうとも
時として思う。
かと言って完全に仕事と割り切って
仮面と仮面のままの関係でやっていく強さもない。
30過ぎてからは少ないながらも
仕事を通じての友達ができるようになったのがせめてもの救いか。
かと言って全否定もできない。
仕事上の深刻な、息の詰まる、思わず感情的になってしまう色々な出来事は
生きていくことの本質的な要素を多々含んでいると感じる。

以前「昭和のエートス」という本を読んだ。
非常に面白い本で読みふけっていたのだが、
その中で著者が働くことについて
「労働とは生き残りの手段である。やりがいのある、個性を発揮できるような仕事は
とっくにメンバーズオンリーである層によって占められている」
みたいな感じで書いていた。
僕は共感というか、非常に的確な現状認識だと感じた。
ちょっと前に青山学院大学附属幼稚園に裏口入園を依頼した人が、
裏口入園できなかったと、
裏口入園を頼んだ相手を告訴、との記事を読んだ。
なんとも醜い事件というか、
目糞鼻糞というか。
長い目でみたら社会的には依頼した方が悪と感じるが。
渡した金額は確か三千万くらいだと思ったが、
これもある意味、将来何らかのメンバーになるための投資だろう。

大多数の庶民は
平等という名のもとに
出来レースに巧妙に参加させられる。
そしてそこでの失敗に、自分の努力が、策略が、学歴が、資格が足りないからだと
日々思い悩んでいる人がどれだけいるだろう。
火宅の人となり、何かおかしいと感じつつも
消費で、飲酒で、無理矢理に自分の中でうやむやにしている人が
どれだけいるだろう。
日本の統治はある意味完璧であると感じる。
戦争で負けてあれだけ焼け野原にされても、2、30年で復興、
世界の3本指に入る経済大国になったのは、この辺りが深く関わっていると感じる。

最近、仕事についてはしんどくて当たり前と思う。
特に僕のような庶民にとっては。
だけど深いところで
降伏する気は毛頭ない。
ここだけの話し(笑)仕事中は怒りを多々感じる。
そして感じるべきだと思う。
そのエネルギーを暴発させず、
否定せず、
注意深く見守りながら抑制し
自分の中に強固な貯蔵庫を作り上げ、
日々コツコツとそれを貯めていき、
その蓄えられたエネルギーを
なにか創造的なものに変換する
そんなシステムを自分の中に
作り上げたなら。
その先には見たことのない世界が広がる予感。

こんな風に考えるようになったのも
ある意味労働のおかげであることも否めない。
結論!
食えているだけで上等であり
立派なのである!
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初詣 [日々思うこと]

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今年は楽しいお正月だった。
やはり家族が増えるということは楽しいなぁ
とつくづく感じた。
自分がこんなにも家族を満喫することになるとは
夢にも思わなかったが、
まあ生きるということは、そういうことが多々あるのだな。

その昔、友人と一緒に正月の鶴岡八幡宮に行った。
人が多すぎて賽銭箱は遥か遠く。
冗談じゃないと思った矢先、その脇に小さな
名前も知らない神社を発見。
あそこにしよう!と声を大にして皆を先導、
波のように並んでいる人々を尻目に
さっさと初詣を済ました。
子供の頃、親戚が多かった僕はお年玉がホントに楽しみだったが、
神社やお寺さんもさぞかし楽しみだろうなぁ。
自分の家に人々が現金を投げ込んでいくなんて
一回でいいから体験してみたい。
というか、毎年くじ引きで国民を選んで
そこに賽銭を投げ込む法律が出来たら、なんだか夢があるなぁ。

今年から初詣に神社やお寺に行くのはやめにした。
だけれども僕は土着的というか、原始的というか、原始人がカミナリを
恐れるような、信仰めいたものだけは人並み以上にあるので、
実家近くにある多摩川へお参り行った。
正月は正月らしく気持ちよく空は晴れ渡り、
35年前にここに越してきた当時とそんなには
変わらない印象で僕は川原に立った。
小学校の遠足、写生大会、マラソン大会
中学校のときの土曜日の夜釣り。
高校に上がってからもよく夜中集まって
友達とくだらない話を延々していた。
大人になってからも時あるごとに
僕の足は多摩川へ向いた。
川の流れと共に、今の僕があるなぁ
と軽く走馬灯のように今までの思い出がフラッシュバックした時、
その変わらない多摩川の流れに
なんだか感動してしまって
周囲の人に気味悪がられない程度に(笑)そっと合掌して
そして祈った。
家族が健康でありますように。
自分でも奇妙なほどシンプルなお祈りで
それ以外、心になにも浮かばなかった。
僕は引越しが多かったので地元というものがほぼない。
ただ多摩川だけに故郷を感じるのかもしれないな。
多摩川は僕の母なる川だな、と思った時
恥ずかしながら涙がでてきた。
っという流れで今まで一番
厳粛で心の奥深いところからの初詣だったと感じたので、
これからの僕の神様は川の神様、多摩川にしようと思った。
今の僕にぴったりな感じがしてなんだかとても気分が良かった。
最近自分の雰囲気、身の丈、に丁度良いものが
心地よい。上でも下でも大きくても小さくてもダメだ。
丁度良くて自然なものが良いな。
今年もこのブログを読んでくれている皆様の時間が
素敵で健康な一年でありますように。
明けましておめでとうございます~!
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WAR [日々思うこと]

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最近、アンテナのケーブルを引っこ抜いてテレビを見ていない。
もうそろそろ見るのをやめてから4ヶ月ほどになるが、
すこぶる脳の調子が良い。
なんの映画かは忘れたが、悪者がテレビを利用して
視聴者からエネルギーを吸い取るシーンがあった。
なんとなく的を得ている気がして、印象に残っている。

仕事先の新聞で北朝鮮が韓国に攻撃を仕掛けた事を知った。
何も知らなかった僕はびっくりして記事を読んだ。
新聞には韓国での出来事を含む、
殺人、自殺のニュースが目白押しだ。
新聞は時として悲しい。
人間の本性を客観的にむき出しにしてしまう一面があるから。
結局のところ欲望が全てを支配しているのか、
と暗い気持ちになることも多い。
戦争は兵器を使った物質的かつ国家レベルのものから、
言葉やポジションを使った精神的かつ、個人レベルの争いまで
ありとあらゆる場所で行われていると感じることもある。
良き戦争というものもなければ、悪しき平和というものもない
という言葉は正しい。
たとえ見せかけだとしてもやはり平和は尊いと思う。
というか、平和なくして僕のやりたいことはできない。

40歳を前にして、僕は再確認する。
今まで色々な事があった。
道も踏み外したし、人を傷つけたり、生きていくことが苦痛な事もあった。
だがやはり僕は他者と仲良くしたい。
僕も楽しいし、君も楽しいよねとうなずき合いたい。
それは人間という存在を理解すればするほど絶望的に難しいこと
と感じる。
が、それでもやはり他者と仲良くしたい。
今の僕にとって明確に、これは生きていく意味そのものだ。
人と仲良しになること、それはアルファでありオメガだ。

アレクサンダーテクニーク という概念がある。
クラッシックなんかの教育に取り入れられたりしているようで、
ここ2年ほど僕もその概念を取り入れて、
自分のプレイに生かしている。
なかなかに難しいところもあって僕もまだまだ勉強中なのだが
単純に言えば、
自分をどう捕らえて、どうコントロールして演奏するのか、
という考え方である。
自分の使い方とでも言ったらよいのか。
先日そのアレクサンダーテクニーク関連の入門書を
読んでいたときに
まるでここ10年、僕が必死に人知れず取り組んできた
ことをアカデミックな文章で認めてもらえた気がして
内容とはまるで関係のないところでナミダしてしまった。

”実行するには、現状を意識すること、原因を合理的に考察すること、
状況に対する習慣的またはエンド・ゲイニング(※簡単に言うと結果だけを
見て、それに至るプロセスを重視しないこと)な対応を「抑制」すること、
そして、目的達成のために選ばれた、一見、回り道にも感じられる
プロセスを実行することが必要となる。”

この文章を読んだとき
今までのやり方が決して間違いではなかった
と強く思ったし、
これからもずっとこのやり方でいこうと思ったものだ。
相変わらず変わらない目標は未だ達成されてはいないけど
最近はプロセスそのものが楽しめる余裕が少し出てきたのかも知れないな。
外の世界の争いにフォーカスしないで
自分勝手だと後ろ指を差されようとも、
ひたすら一途に僕個人の目標を目指したい、と思う。
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数字のインチキ [日々思うこと]

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1+1=2 
これは世界各国、津々浦々常識を通り越した真理である。
僕は最近になって、(遅いのだが)
月から帰ってきたアポロ11号が、地球で待っていた
航空母艦ホーネットのわずか20キロほど離れた海上に
無事着水した事を少し考えてみた時に、
数字、数学というものが持つパワーに愕然とした。
地球の自転の速度、引力、大気圏突入の摩擦、
ありとあらゆるデータを集めそして計算して
実際に宇宙から帰ってきたアポロ11号は
ほぼ計算通りの地点に着水。
これってホントに凄いと思った。
僕が一生かかってもできない計算だと思ったし、
数字というものの偉大さに、完全さに、
神すら感じてしまった。
数字はある意味、真に完全である。

ところがこの数字というもの、
あまりに完全なために、悪用も可能な代物である。
僕が日々の中で
(う~ん、インチキだなぁ~)
と思う数字の悪用をあげていこうと思う。

① 電車の吊り広告、某英会話スクールのうたい文句。
   レッスンの満足度のパーセンテージをデカデカと載せている。
  非常に満足度が高い→65.9%
  満足度が高い    →30.9%
  普通          →2.8%
  不満          →0.4%
   おおよそ97%の人が満足している計算になり
  一見なんだか英語がすぐにでもしゃべれるようになる雰囲気が。
  電車の中で暇なので、くまなくその広告を見ていた僕は
  隅のほうに「生徒アンケート」の文字を発見。
  それを見たとたん、
 「そりゃ満足だろ。」
  っと思わずクスッとしてしまった。
  とりあえず満足しているから金を払って通学しているわけだし。
  これは家族に
  「お父さん好きですか~?」  
  という質問をして97%の人が好きという結果が出ました、
  と言ってるようでなんだか面白かった。

②カードローンの年利計算。
 これまたよく解らない。
 恥ずかしい話だが以前、某クレジット会社のキャッシングのリボ払い
 にハマってしまったことがある。
 このリボ払い、はっきりいって危険です。
 最終的には借金額が預金残高のように感じるようになる(笑)
 限度額まであと5万だからあと5万は大丈夫、っと5万を借りる。
 するとまるで金を借りるために、金を返すようなおかしな現象が起こる(笑)
 いやぁ~うまくできてますね~。
 もうこうなると借りた額が一体総額いくらなのか、利子をいくら払ったのか
 まったく解らなくなる。
 っというか消費者金融というのはそれこそがキモなんだな。(笑)
 1度窓口に電話して、金利について質問してみた。
 「すみません、ここに年利5.1%~14.6%とありますが・・・・」

 「はい」

 「これって、例えば100万円借りたとして1年後に返したら114万6000円
  になって、早く返せば最低105万1000円にして返すということでしょうか?」

 「違います」

 「じゃあどういうことなんでしょうか?」

 「私ではお答えできません」

 「では誰なら教えてもらえますか?」

 「担当のものがおりますが、年利の計算を全てご説明となりますと
  1時間くらいかかります」

 「・・・・・・・・・。」

オペレータとはこんな感じの会話をしたと記憶している。
僕の払った支払い記録を
ヤフーのトップページで公開すれば
かなりの若者を救えるんじゃないかな~(笑)

③不動産の物件で、最寄り駅から徒歩10分。
  これね、まず着きません10分じゃ(笑)
  僕の経験上、大体20分弱(笑)
  こんなとき不動産屋さんが良くおっしゃるのが
 「この10分というのはですね~、直線距離を時速~㌔で歩いたとしてですね~」
  っとこんな感じ。
 直線距離で数字だされてもなぁ。ホントに直線で駅まで行ける物件だったら良いけど、
 大体は直線では駅まで行けないしなぁ。
 せめて駅からの実際に歩く最短距離を情報としてくれると嬉しいんだけど。

そもそも商売というものは
1000円のモノを1000円で売っていたら儲けにならないのである。
1000円のモノをいかにして1万円で売るのかの勝負といってもいい。
僕はそのイカサマと紙一重の数字のトリックに面白みを感じてしまう。
これもまたセンスなんだろうな。
 

 
 

  
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ヒーロー [日々思うこと]

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よく行くラーメン屋に大量の漫画が置いてあるところがある。
行儀の悪い話しだが、
僕は食べながら本を読むのが大好きである。
この上ない幸せを感じる(笑)
食べる事も本を読む事も大好きなので、
大好きな事が折り重なって、
両方ともが更に輝きだす。(笑)
ちなみに僕の中では漫画も雑誌も小説も参考書もみんな「本」である。
本に垣根はない。
ちなみにこのラーメン屋、ラーメン自体も非常に僕好みで
かつ漫画のチョイスも素晴らしい。
きっと僕と同年代の人の物なのだろう、
カウンターの後ろの壁に所狭しと往年の名作漫画が並ぶ。
おいしいラーメンを食べながら、
漫画を読む。
そこには「行儀が悪い!」
と怒る母親もカミさんもいない(笑)。
地味な話しだが、
僕の至福の時間である(笑)。

先日、そのラーメン屋で
「がんばれ元気」を読んだ。
僕が小学校3年生の時に少年サンデーに連載されていてとても人気があった。
僕もやはり大好きで、
タカちゃんという友達と一緒に大いに感化され、
家の近くの空き地にジムまで作った。
っと言っても木にサンドバッグに見立てた袋をぶら下げただけだったが。(笑)
子供の時も感動して読んでいたが、
大人になって久しぶりに読んでもやっぱり感動した。
っと言うかラーメン屋で泣いていた(笑)。
親になった今、
僕の目線は元気よりもむしろ
強敵 関拳児に立ち向かう元気のお父さんに向いていた。
元プロボクサーのシャーク堀口は
幼い元気を連れながら、
ドサ回りでボクシングで生計を立てている。
窮乏した生活が妻の命を奪ってしまったと思いこんでいた元気のお父さんは、
ある日偶然見つけた亡くなった妻の日記を読み、復活を誓う。
年齢も一回り下の若い関拳児を前に
減量重ねて、果敢に勝負を挑む。
「俺からボクシングをとったら何が残るのか。」
リング下で見守る元気を思い、
打たれても、打たれても前に出る
シャーク堀口。
あ~ダメだ。書きながら涙出そう。

幼い頃の僕のヒーローは
今もまだ僕の中で燦々と輝いている。
堀口元気が
古代守が
矢吹丈が
ルークスカイウォーカーが
上杉鉄兵が
僕のヒーロー。
名前をつぶやくだけで勇気が出てくるな。


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純粋? [日々思うこと]

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言葉というものは
一見無意味なようで無力のようで、
しかし時としてヘタなドラッグも及ばない
強力な脳内物質の放出のきっかけになったりする。
その力の元は、シンクロニシティが深く関わっていると思う。
タイミングによっては同じ言葉も
まったく心に響かない。
ちょうどその時の自分が
感じている、考えているある事柄に対して
シンプルに答えを表現している言葉に出会うと僕は感動する。
その通りだ
と思わず憤ってしまう。
それは小説だったり、全然関係のない専門書だったり、
何気ない友人の一言だったりする。
感動のヒントは実は世界にたくさん隠されている。
言葉はやはりその重要なファクターのひとつだと思う。

僕は思う。
純粋な気持ち無くして
感動は自分の中に生まれない。
では純粋な気持ちとは何か
と問われると
その答えは僕にはひとつだ。
単純に言えばそれは
一番を目指すこと
まるで第二次世界大戦当時の
日本のキャッチフレーズのようだけど(笑)
純粋 という言葉から僕が連想するのは
孤独 悪 わがまま
決して綺麗なイメージではない。
人間は生きていくと段々、
恐怖し妥協する。
一番を目指さなくなる。
世界でひとつの花 という歌がありますが
僕は嫌いです。(笑)
No.1以外のものになりたいなんてウソだ、と言いたい。
山頂ではNo.1を目指し今日も各地で熾烈な戦いが繰り広げられる。
有名な山になればなるほどその戦いは険しい。
でも世界には有名な山だけじゃない。
未だ誰も足を踏み入れたことのない山が
たくさんあるのである。
観客のいない孤独にも負けず
命あるからにはやはりてっぺんを目指したい、シンプルに。
世界で一番悪者になりたいやつ、
世界で一番善人でいたいやつ、
純粋な動機で動いている人には善悪も
年齢も国籍も性別も一切関係ないと思う。

宮沢賢治の単行本の解説に、賢治が行った農民運動について
「効果性の有無による批判は、その祈念の純粋さの前で結局は沈黙する」
とあった。
電車の中で何気なく読んでいた解説だったが、その一言にやられてしまい、
平静を装うのに必死だった(笑)
勝敗は無用である。
そもそもこんな不公平極まりない世界で
勝利などは悪い夢だ。
自分が決めた山に登る。
てっぺんを目指す。
その他のことは不純である とあえて言いたい。
No.1はNo.1を認められるのだ。
そこまで行って初めて
心から人と仲良くできるのだ。

って書きながら
こんな事いつも考えてるから
友達少ないんだよなぁ
って思えてきた。
めんどくさいな、僕は(笑)


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私的歴史考察 [日々思うこと]

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僕は戦国史~江戸~明治~昭和初期くらいの歴史に興味があって、その辺の本や映画、また建造物
などを見るのが好きだ。何百年前からある石垣などを触ったりするとちょっとしたタイムスリップの
気分だ。今回はそんな僕の独断と偏見の歴史考察をしてみようと思う。

戦国期、あまりに有名な3武将。信長、秀吉、家康。その中から秀吉。
この人は卑賤の身分から身を起こし、日本の王様にまでなった事はあまりに有名。
世界史的に見てもほとんど例のない、立身出世ぶりだという。
この人がどうやって信長に拾い上げられ、侍となったのかは謎が多いのだが
僕はかなり具体的に「こうだったのでは?」っと想像力が膨らむ。
秀吉は多指症だったという。これはけっこう正確な記録があるらしく、
当時、日本ににきていたカトリックの宣教師が秀吉の親指が2本あることを
本国に書き送っている。
僕はそのことを知ったときにピンとくるものがあった。
信長は好奇心旺盛な人物で、新し物好きだった人だ。
そんな人が家来の誰からか
「指が6本ある奴がおりまする~」
と報告され即刻
「連れてまいれ」となる事は想像が難しくない。
秀吉はそれを足がかりにして信長と近づけたのではないか。
信長は秀吉を城中連れて歩き、今でいうドッキリカメラのような感じで
家来や女中などを驚かせ、それを見て笑い転げ楽しんだ、というような感じではないか。
幼いころ読んだ本では、草履取りだった秀吉が懐で草履を温め、
それを信長が喜び家来にするきっかけとなったとあったが、
それは、秀吉が死んでも人気の衰えなかった豊臣政権を貶めようとした
徳川の作ったウソ話だと思うんだな。
信長という人物を考えた場合、そんなことをしたら逆に殺されそうな気がする。
いくら寒い日でも、人の温もりがある便器など座りたくはないものである。

秀吉話続く。そんな秀吉、信長を殺した明智光秀を討ち、見事主君の仇をとるのだが、
これもなんかあやしい。信長討ち死の報を受けて戦闘中の毛利と和解、
有名な中国大返し、とやらで兵を引き上げ明智を討つのだが。
本当だろうか。話が出来すぎている。黒幕はズバリ秀吉本人ではないか。
もともと秀吉が光秀に
「信長を殺し、天下を奪おう」
という話を持ちかけたか、あるいは讒言やデマなどを巧妙に流し、
光秀が 信長を殺さなければ、殺されてしまう という状況に追い詰めていったのでは。
信長が死んで一番得をしたのは誰か。明白に秀吉である。
秀吉はその後、光秀を討ち、柴田を討ち、信長の子を家来に従え、信長の姪を妾にする。
光秀謀反でその状況を利用した、というよりかは最初から秀吉の計画の一部と考えるほうが
自然な気がする。
大河ドラマや小説では秀吉は明るく、猿のような風貌でひょうきんもの、というイメージ
で描かれる場合が多いが、確かにそういう一面もあったと思う。
信長、家康と比べると秀吉には足がかりになるものが何も無い。
前途した6本の指くらいだっただろう。そんな彼が成り上がって、それも王にまでなるのだから、
その過程においてバカを演じるのは必要不可欠だろう。
だが秀吉は大悪人だったと僕は思う。明るいひょうきん者が奴隷から王様になれるほど、
昔も今も世の中は甘くない。
そんな秀吉の欲望は日本を統治した後、外国にまで出兵しそれは失敗して死に至る。
莫大な富をかけて築いた大阪城に息子秀頼は立てこもり家康と闘うが
結局は家康にむしられ殺される。
史上最高の成り上がり秀吉も一代限り、歴史から豊臣は姿を消す。
その辺のイサギヨイ感じはまた人気の理由だったりするのかな。

露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢

不景気? [日々思うこと]

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連日、不景気 という文字が新聞やホームページ並び、テレビでも毎日景気がどうだ、雇用がどうだと耳にする。
そんな中で自動車会社のリストラの人数が目を引いた。
トヨタグループ 7800人
日産 1500人
いすづ  1400人
マツダ  1300人
三菱  1100人
本田  270人

という数字を見た。工場に期間従業員として働く人々のリストラ予定の数。
この中で本田技研の数が極端に低いことが目に付いた。
ちょっと前にホンダのF1からの撤退のニュースを知っていた僕は
ホンダの経営陣に男気を感じた。
期間従業員の首を切る前に、莫大な経費が掛かるF1から撤退するという決断に
その効果はどれほどかは分らないが拍手を送りたい。
順番として非常に正しいと思うし、また利益が出たら参戦すればいい、という自信をも感じる。
ホンダはおもしろい会社だな、と思う。製品のラインナップとして、
F1や小型ジェット機、NSXのような国産量産スーパーカーや人間ロボットまで作ってしまうと思えば、
配達などで使われているスーパーカブのような庶民の生活に密着している実用的なものまである。
ちなみにスーパーカブは全世界で6000万台、世界で最も多く製造された二輪車だそうである。
地味なところでは芝刈り機世界シェアNo1というのまであって、
夢の部分と堅実さの部分が織り交ざって感じられ、非常に僕好みである。

毎日、毎日不景気だ、リストラと聞いていると無意識にそうなのかな、とぼんやり感じてしまったり
するが、本当にそうなのだろうか。7800人を首にするトヨタは今年、6000億円の黒字予定だそうである。
大企業をスポンサーに抱えたマスコミのマインドコントロールなのではないか。
「未曾有の不景気だ、緊急事態だ、だからお前らは全員クビされてもしょうがないのだ」
という雰囲気を作ろうとしているのではないかな。
ホンダのリストラの数の少なさなどはあまりクローズアップされていない気がするが、
ホンダの他にもイカしている会社はまだまだ沢山あると思う。
そういうものにスポットを当てて伝えていくことが、マスコミの景気に対する責任の一つだと思うが。
トヨタもアレだけの車を作れる技術、資産、施設などを持っているのだから、
ホンダを見習って従業員をクビにする前にそれらを生かしてなにかを生産すればいいのに。

今回のことをきっかけに僕はホンダという会社が好きになった。
そのうち、新車でも買うときには是非ホンダのディーラーに行ってみようと思う。
ってその前にお金貯めよっと。







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