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好きなやつ [友達]

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俺の好きなやつ。
友達。
あえて言葉にするなら
とんでもない非常識なことを全くの常識と勘違いしている人間や、
給料日にギャンブルで全額使い切ってしまうような人間、
また、
腕っぷしが強すぎて本来ならプロレスラーやボクサーになるしか生きる道がないのに
汲々と堅気の世界で生きている人間
はたまた
親兄弟を幼い頃に亡くし、それでも真っ直ぐに独力のみを頼りに誇り高く生きてきた人間
幼い頃、酷いイジメに遭い人に散々傷つけられながらも、深いトラウマを抱えながらも
一生懸命人を好きであろうとする人間
そんな不器用な人が大好きだ。
損得勘定の亡者溢れるこの世界で
ケチくさいことを言わず、
ギリギリのラインで人間性を死守し
酔っ払う
愛すべき友達たち。
全てにおいて半端者な俺にとって
突出した個性を持ちながら
日常を過ごしている彼らの存在は
ただ、ただ輝いている。

俺の嫌いなやつ。

小ざかしいやつ。
人の力を利用することしか考えないやつ。
1の自分を10に見せようとするやつ。
浮気性なやつ。
言ってたことと、やってることが違ってるやつ。
で思ったのが
嫌いなやつってたぶん
俺と似ている。
見栄とか、何とかで
俺が必死でやらないようにしていることを
何の罪悪感もなく
行動に移してしまっている。
その辺りが憎しみの原因なのか。
近親増悪か。

好きなやつ、
嫌いなやつ
色んなやつがいて
面白いのだ。
それでいいのだ。
そして
そんな世界で
俺はただ、ただ
俺の道を行くのだ。
無礼なやつに腹を立てながら
思わぬ優しさに救われ
時に裏切りに会い
苦しい嘘をつきながらも
俺は進むのだ。
道をつくるのだ。
この一瞬を生きるのだ。
あきらめなどは必要ないのだ。
肝心なのは感動だ。
兎に角、
できるもんだけ、やれるもんだけ
自力で勝負だ。
このまま、このまま
俺は進むのだ。









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有朋自遠方来 不亦楽 [友達]

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友達が遊びに来た。奥さんと娘さんと一緒に。
再会は実に三年ぶり。
相変わらず、酒飲み。変わらずの笑顔。
奥さんとは結婚式以来、娘さんとは初めての対面。
パパそっくりの、まつ毛の長いやさしい目。
ああ僕らは父親になった。
彼との出会いから遡ると実に感慨深い。
本当にあれから色々なことがあったが、
兎に角にも僕らは父親になった。
平凡な出来事なのだが、彼を目の前にすると、
そんなこともひどくドラマチックに感じたりする。

遊びに来てくれた友人はこのブログ 「共鳴」で書いたK氏である。
K氏の娘さんは5歳。
ウォルトディズニーの魔の手は幼い少女に忍び寄り(笑)
こちらに着いた翌朝、K氏一家はゴールデンウィーク真っ只中の
ディズニーランドへ。
帰ってきた娘さんの嬉しそうな顔が印象的だった。
その翌日は何することもなく、
酒だけは常に飲んで(笑)楽しく一緒に過ごした。
川原にちょっとしたキャンプ道具なんかを持っていって
ビデオカメラ片手に、サマーベットに寝転ぶ。
そして帰ってまた酒を飲みながら、話す。
子供たちは果てしなく遊びまくる。朝から晩までずっと。

K氏たち家族が遊びに来る前から、
僕はやがてはやってくる別れの時のことをチラチラ考えては、
それに気がつかないふりをしていた。
始まりと終わり、出会いと別れ、大げさに言うなら、生と死。
親友に会うと、僕はそんなことを感じてしまう。
今度の彼の家族との出会いは、僕の現在位置や、進んでいる方向が正しいこと、
そして全てを他者と共有はできない、たった一人でやらなければならないことがある、
そんなことを僕に教えてくれた&再確認させてくれた。
友達って不思議だ。こんなことを誰にでも感じるわけではない。
やはり神からの贈り物だな。

そんなK氏一家のプチ東京旅行の最終日。
僕ら一家も近くのインターまで道案内をするために
一緒に家を出た。
駐車場で皆で記念撮影。
空は青く、緑は深く、周りの景色は5月のみずみずしい色で輝いている。
次の交差点を右に曲がったらバイバイだな。
僕は泣き出したくなるような気持ちを押さえ込んで、
インターへと車を走らす。
目の前にインターが迫る。
僕は大声で後ろのK氏たちへ「バイバイ」 と叫んだ。
ミラー越しにK氏一家の笑顔が写る。
カムパネルラを振り返って、彼がそこにいない事に気がつき
泣き出すジョバンニのようなそんな気持ちだった。

インターまでの道案内を済ませた僕らは
丁度、子供服屋を見つけそこに入った。
買い物をするという行為で、自分の感情に気がつかないフリをしたかった。
買い物の途中、K氏からの着信。
電話にでるとK氏の奥さんで、
帰り道ルートの確認の電話だった。
僕はその現実的な電話になんだか救われたような気持ちに
なって、彼らが走っている道が正しいことを告げ、
電話を切った。
店を出てタバコを吸っていた僕の目の前に
新緑の山々が見える。
楽しそうに笑う、僕とK氏の娘達の残像がちらつく。

遠方より友来たる。 素晴らしく楽しいことじゃないか。

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※K氏の奥様に描いてもらった僕の次女。






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人が死ぬということ [友達]

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僕は人見知りで警戒心が強い。性格もどこか歪んでいて、甘ったれで出不精。
そんな人間なので友達はあまりいない。
そんな僕にとってトモダチとは神からの贈り物なのだ。

Sさんとはアメリカ留学時代の学校で出会った。
僕はドラム科だったが彼はベース科の生徒だった。
僕は留学当初、自身の会話力を上げるためにとにかくも日本語を使うことをやめようと
同じ国の人を意識して避けていた。
今考えるとバカらしい話なのだが、当時はいろいろ必死な面もあったので。
後からの笑い話なのだが、僕らは友達になる前、互いに外国人だと思っていた。
僕は僕で中国人か韓国人だと思っていたし、彼は僕を日系のアメリカ人だと思っていた。
仲良くなった後、彼も同じような理由であえて同国人を避けていたことを知り
彼の出身地が僕の通っていた高校の近くだったということと重なって
極自然な親近感が湧き、僕らはトモダチになった。

頭のサイドを短く刈り込み、NBAの選手のような服を着て
下品なスラングを物怖じせずにバンバン使って、
ベースのプレイはスラップ(弦をはじいて音を出す、チョッパーともいう)一辺倒。
彼を一言で表すなら ファンキー。出会った20歳の頃彼は僕にとってそんな印象だった。
彼とは在学中いくつかバンドを一緒にやった。
彼の連れてくる人はとにかくキャラが濃く、一番印象に残っているのは
いつもスケボーに乗って学校にやってくる、金髪モヒカンのギターリストで
なんといってもまず顔が凄かった。
一言でいうと目の青い鬼である。
単純に顔がもの凄く恐かった。彼はアイルランド人で、
彼のつくるメロディもまたおどろおどろしく、それをわけのわからないゲール語で
がなりたて、Sさんはひたすらスラップしまくる、と今思えばちょっと変わって
面白いバンドだったなぁ~。

帰国の日、僕はオジェ(ルームメイト)とアパート前でSさんを待っていた。
しばらくすると2台のタクシーが僕らの前に停まった。
すると前の1台からSさんが降りてくる。
彼はエレキベースを5~6本、ウッドベース、トランクケースなど大量の荷物
と一緒にやって来ていた。
「これ機内に入んないでしょ~」
「いやいやチケット2人分買ったから」
などという会話を交わしながら僕らはタクシーに乗り込み空港へ向かった。
案の定、航空会社のカウンターでもめにもめた。
最終的に空きの出ていたファーストクラスかビジネスクラスかの座席に
ウッドベースを置かしてもらうことと相成り、なんとか僕らは機内に乗り込んだ。
飛行機の場合、特に国際便はもめればなんとかなる、とこの時学んだ(笑)。

帰国してからは、少しSさんとは遠のいた。
何年か経ってから、僕は自身のバンド立ち上げの為に
珍しく積極的に色々と動いていた。
ギターと2人結成に向けて活動していたので、ベーシストを特に探していた。
そんな時に何故か何年も会っていないSさんのことが頭に浮かんだ。
これからやっていく上で、気心の知れている人を迎えたかったというのがあったのかも知れない。
早速実家に連絡を入れると、今は長野にいるという。
その時携帯の番号も聞いていたのだが、あえてSさんに連絡無しに
長野へと向かった。
彼はその時音楽から遠ざかっていた時期のようでドラックストアの店長をしていた。
メンバー探しのことを伝えると最初は戸惑っていたようだが
とにかく一度東京で音を出してみようという話になり、僕は東京へもどった。
何度かはセッションを重ねたがブランクが長すぎたのか
しっくりいかず、結局違うメンバーでの活動となったが、
そのことをきっかけとして、僕らはまた連絡を取り合い交友関係を復活させた。

音楽から遠ざかっていたSさんだがその思いは消えていなかったらしく、
しばらくして遊びにいくと、自分の家とはまた別に部屋を借り、
要塞のようなスタジオを構築していた。
そしてある日、「車のカスタムショップを始める。その建物の2階のフロアーを
ソウルバーにするつもりだからその時は宜しく」
という話を聞き、驚いた。
結局、経営は上手く行かずに結構な借金を負ってしまったみたいだが、
彼はそんな時も明るく、「いや~大失敗しちゃった」などと言っていた。
彼は人の話を聞いているんだかいないんだか、わけの分からない相槌などをうって
キ〇ガイと紙一重のところがあって、そんなところが僕は大好きだった。

その失敗の後はまた少し連絡が途絶えた。
後から聞いた話しでは大変な時期だったらしい。
そしてまた突然連絡があり、またバンドでもやろうかなどと話してから
しばらくして、病気になって今入院していると電話で聞いた。
病院名だけ聞いた僕はまたしても連絡なしに、長野の松本にある病院へ、
電話でその話を聞いた次の日、お見舞いへ向かった。
病院について看護婦さんにその旨を伝えると、彼に電話で了承をとり、
病室へと案内してくれた。
マスクを渡され、手の消毒を済ませて中へ入ると僕はビックリした。
まるで「世界の中心で愛をさけぶ」のヒロインのように、
ベッドにはビニールの透明なカーテンで覆われていて、
彼はそこに笑って座っていた。
電話で話していた時はまさかここまで大変なこととは思っていなかったので
本当にビックリした。
骨髄の移植手術をして、その経過を今見ているところだと話してくれた。
ただ本人はあくまで明るく、音楽制作ソフトのプロツールスがいかに
おもしろいか、という話で盛り上がった。
またベースのカスタムショップを立ち上げて今度ベースマガジンに広告を
出すから見てよ、という話も聞き元気なその姿にビニールのカーテンに囲まれているのが
なんだかとても不似合いに見えた。
2回目に見舞ったときは、化学療法の副作用か身体中が腫れあがり
かなり痛々しい姿だったのだが、
ネットショップと平行して松本あたりで食べ物屋
をやるべく今色々と物件を探している、と言っていたりして
かなりの気を吐いていた。
そして退院も間近というので僕は安心して東京へ戻った。

そんなある日Sさんから電話が来た。
「今、こんな感じのをやりたいんだよっていうのを今度CDで送るからさ」
彼はそう言って電話を切った。
それが彼とこの世で交わした最後の言葉だった。

彼は死んでしまった。
彼の送ってくるはずだったCDがあまりに遅いため、
僕は催促の電話をかけた。
すると現在使われておりませんのコール。
?と思いすぐに実家にかけなおすと、彼の妹さんからそのことを告げられた。

妹さんから墓地の場所を聞き、僕は家族を連れてそこへ向かった。
お花を添えて、線香をたいて、お墓に刻まれている彼の名前と命日を見た。
もう二度と僕はお墓参りには行かないと思う。
彼がこんなさみしいところへいるとは思えなかった。
このブログに書いたような僕の記憶の中にいるSさんは
明るくて、わけわかんなくて、楽しい人だから、そこで会おうかなと。
帰り際、娘がつたない言葉で、
「パパのお友達?」
と僕に言った。
その言葉に僕は
「そう。すごい仲良しだったんだよ」
と言った。
言ってから僕は そうすごい仲良しだったな と思った。
天国というものがもしあるなら、今度あった時
「CDは?」と彼に文句を言おう。

人は死ぬ。もちろん僕もいつか必ず死ぬ。
彼は最後まで僕に死を感じさせなかった。
僕は何故彼を大好きだったかがこの辺にあるのかなとも思う。
先に逝ってしまった彼を思い、
行き先を同じくした残されたものとして、
最後の瞬間まで生きなければ、と思う。

彼が車のカスタムショップをやっていたとき、
彼のショップの宣伝カーに乗って2人で焼肉を食べに行った。
真黄色のピックアップトラック、パワーアンプを積んで後にはバカでかいスピーカー。
爆音でボブマーリーの「GET UP STAND UP」を聞きながら
いい年こいて、気分は不良少年で。
最高だったな、あれは。
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仲良きことは・・・・・ [友達]

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僕の友人にOさんという人がいる。
彼とはなんだかんだけっこう長い友人でもう8年くらいの付き合いになるだろうか。
彼は一言で言っておもしろい人である。
バイタリティにあふれていて、ユーモアも満点である。
彼にまつわるおもしろエピソードは半分くらいはここに書くと
アクセス数が半減する危険性があるので、書けるやつだけを書こうと思う。(笑)

彼と僕は同じ歳で、仕事先で出会い仲良くなった。
彼は非常に強い悪運の持ち主で、給料日の翌日に給料をほぼ全額を使い切ってしまい、
なけなしの1万でスロットに行き、7万勝ってしまうような人である。
ちょっと前はナンバーズ4の一等を見事当てて、びっくりさせてもらった。
僕らは山っ気があるというところでウマが合い、
2人で色々なことを一緒にやった。
一番最初は彼の「わらしべ長者論」 に論破されて2人で一緒に品川駅周辺の自動販売機
の下の小銭を拾って回ったのがスタートで、以外と落っこちていて確か1000円弱くらいになったと
思う。(笑)
次はジッポライターのデザイン&販売を一緒にやった。
僕が当時よくやっていたライブハウスのオーナーにプレゼンをして、
見事60個の注文を初めてもらった時はうれしかった~。
彼は既にジッポの販売網を持っていてそれを利用させてもらう形だったが
良い経験をさせてもらった。それからもちょくちょく2人で仕事をしたりしたが、
一番おもしろかったのは最近のネタで、
Oさんがやっていたダイレクトメールの仕事。
僕はOさんの仕事を手伝う形で、2人で封筒詰めを真夜中、Oさんとくっちゃべりながら
やっていた。かなりの割りの良い仕事だったのだが、面白いオチがついた。
ある朝、朝刊の3面で詐欺で指名手配されている会社社長の記事を読んでいると
会社の住所、事業内容に見覚えを感じた(笑)
まさか僕らの関係する会社とは思わないで、似たような会社が近くにあるのかな
くらいの認識だったのだが、その夜Oさんからの電話で紛れも無く
それは僕らの親玉だったことを知る。(笑)
当然その日から仕事は無くなってしまった。

今も僕らは話すたびになにか新しいビジネスはないかとアイディアを練る。
大もうけできなくてもいい。
Oさんと楽しくまたなにかやりたいな~ と思うのである。
彼は今、自分のやりたい事で自分を成り立たせている素晴らしい人である。
尊敬しつつも彼を思うたび、「僕もがんばらなくては」
と素直に思う。



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アルフォンソ [友達]

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アメリカ留学時代の友人の話。
僕が学んでいたのはドラムだった。
通っていた学校にはドラムラボという小さな練習室がズラ~と並ぶ施設があり、
その練習室を4~5人くらいでシェアして使う事になっていた。
僕とラボを一緒に使う生徒の中に アルフォンソ というスイスから来た人がいた。
彼はいつもヨレヨレのネルシャツを着て、モジャモジャパーマ、ちょっと肩を怒らして
前屈みに歩くクセを持ったナイスガイだった。
けっこうゴツイ体格をしていて腕などもかなりブッ太い感じだったが、
それとは対照的に気が弱い人で、その対比が僕には好印象だった。
年齢は僕よりも少し上だったと思うが、まるで弟のような感じもしたものだ。
ただドラムのほうは凄まじく、当時の僕ではまるで太刀打ちできないテクニックを持っていたが。

アメリカの学校はわりと簡単に入学できたりもするのだが、卒業するのは入学ほど簡単ではない。
なのでテスト前などになるとけっこう夜遅くまで学校に残り練習したりもする。
そんな時、帰る方向が一緒のアルフォンソとたまに肩を並べて帰った。
当時の僕は危険に対する感覚が鈍かったようで、LAという大都会で暮らしながら、
けっこう平気で夜中でも1人で歩いていたりした。そんな中帰り道によく見かける、地元の不良少年少女
達がいた。彼らの中でもひと際目を引く黒人、大男のモヒカンパンク少年がいて、
「黒人でも皆がヒップホップではなく、パンクなヤツもいるのだな」
と妙なところに納得していた記憶がある。
その日も僕がアルフォンソと連れ立って家路についていると向こうからパンクキッズがやってきた。
アルフォンソは急にガクガクと挙動不審になり、
「向こうからでっかい黒人の男が来る、どうしよう・・・どうしよう」
と僕に恐怖で引きつった顔で話しかけてくる。
アルフォンソの想像以上の動揺っぷりに逆に危険を感じた僕は、
「僕といれば大丈夫だから、リラックスしてくれ」
と言い聞かせ、そのまま何事もなく歩き続けた。彼らとすれ違うとき、
アルフォンソは僕の腕にすがり、はたから見たら単なるゲイのカップルに見えたかも知れない。
そしてしばらくするとアルフォンソは不思議そうに僕に尋ねた。
「なぜ君はそんなに落ち着いていられるの?」
当時の僕はまるっきり根拠のない自信に満ち溢れていてストリートレベルでは全世界で
びびる必要はない、と思っていた。
ただ当時の僕にそんなことを語る英会話力はなくただ、
「僕はブラックベルトのようなものを持っている」
とアルフォンソに言った。本当は剣道初段という事を伝えたかったのだが、
彼は剣道というものを知らないので仕方なくカラテでいえば、と言ったのだが
彼は僕のその言葉に深い安堵感を覚えたらしく、それ以来彼と夜一緒に帰る機会が増えた。
思えば拳銃を所持できる国でブラックベルトもへったくれもないのである。
アルフォンソも僕も、無事帰国に至った事は神に感謝です。




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仕事仲間 [友達]

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働いていると色々な面白い人と出会う。
Yはその中の1人で、面白いヤツだった。
アルフィーの高見沢さんみたいな長髪で、アメリカンのバイクに乗り、
一見パンクにも見えるのだが、楽器は一切できなかった。
料理が上手でYの部屋へ遊びにいくとサクッと何か作ってくれたりもした。
Yは暴走族あがりの元ホストという経歴の持ち主で、
端整な女の子のような顔をしていたが、喧嘩早くよく顔に怪我をしていた。
ある日一緒に飲んでいると、最近流行りの ホームレス中学生も真っ青な生い立ちを話してくれた。

高校生のある日、まず父親がいなくなった。外に女をつくって出て行ったらしい。
次に姉がいなくなった。彼氏のところへ行ったらしい。
次に母親がいなくなった。行方不明だったらしい。
そしてしばらく家に1人で住んでいたYがある日家に帰ると、
玄関の外になにやらビニールシートをかぶせた荷物を発見。
めくってみるとそこには自分の部屋の荷物が。
玄関にはなにやら競売うんぬんの書かれたビニールテープが張られて
入れず。父親がYの知らぬ間に家を売りに出したらしい。
Yは笑顔で以上のことを僕に話してくれたが、正直ちょっと引いてしまった。
リアクションにちょっと困った。


別人でYさん。
Yさんは竹之内豊を小型化してメガネをかけたようなカッコの良い方で、
低い声がシブかった。
Yさんは仕事中もとにかく穏やかな人で、多少のミスもやさしくフォローしてくれた。
常に口元が微笑んでいる感じというか、
Yさんの怒る顔は想像できない。
そんなYさんの目が唯一鋭くなる瞬間が、競馬雑誌 ギャロップを読んでいるときだ。
休憩時間、Yさんは馬が4頭大きく載っているページをジーと見ていた。
馬を横から撮った写真がならんでいるのだが、
Yさんは真剣にズーとそのページを見ている。
その光景に、僕は思わず「何を見ているんですか?」
とYさんに聞いた。
するとYさんはいつもの穏やかな顔にもどり
「馬の筋肉を見ているんだよね」と言う。
僕はほとんど競馬はシロウトなので、
「はぁ~やっぱりそういうところまで見てるんですね~」
と相槌を打った。するとYさんは
「まあ結局あまり参考にはならないんだけどね」
と笑顔で僕に言葉を返し、また真剣な顔でそのページを見ていた。
あの時の真剣なYさんの眼差しが、なんだか可笑しくて
たまに思い出すときがある。

何年か後、Yは母親と暮らすようになったと聞き、Yさんは地元の信州上田に帰り結婚すると聞いた。
その他にも面白い人がいたのでまた書こうと思います。

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邂逅 [友達]

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24歳の春、僕はオートバイに乗って、新しい仕事先である兵庫県姫路市に向かっていた。
中央高速から姫路に向かっていた僕は、長野県の飯田というところで一泊し、次の日 中央→東名と乗り継ぎ
名神高速で名古屋に入ったあたりで大雨となった。
急いでパーキングに入り、雨対策にもっていたレインコートを着こんでまた雨の名古屋を走っていた。
その日は本当にひどい降りで、ヘルメットのシールドを開けていないと前が見えないのでシールドを開け、
シールドを開けているので雨が直接顔を打ち、スピードも上げることができなかった。
そんな中、どのあたりかはもう忘れてしまったが、僕は再度パーキングで休憩をとることにした。

パーキングで人とすれ違うとき、僕はよほどずぶ濡れだったのだろう、
皆 かわいそう~ というような表情をしていた。
そして寒くもあったため、ホットコーヒーを買って室内に入りタバコを吸っていた。
Iさんにそんな時に話しかけられた。
「いや~ひどい降りですね~」
レインコートを脱ぎながら、Iさんは笑いながら僕の座っている席に近づいてきた。
レインコートの下は、マッドマックスのようなバトルスーツを着ていて、短く刈り込んだ髪
が良く似合っていた。
その時僕はある念願だった仕事に初めてありついて、期待を胸に姫路に向かっていた時
だったので、短い時間ではあるがIさんにその辺の抱負みたいなもの語ってしまった記憶がある。
Iさんは岡山の方にいく途中だということだったので、僕らは姫路までの短いツーリングを共にすることにした。

それから一緒に走っているときも雨はずっと降っていた。
IさんのオートバイはV-MAXという大型車でトンネルに入るとその爆音が鳴り響いた。
そして姫路もそろそろというところでもう一回休憩をとり、
降りるインターがきたら勝手に降りてね、というIさんと最後の会話を交わし、
再び走り出し、そして僕は姫路のあたりで高速を降りた。


姫路での生活が始まって一月ほど経った後、Iさんから手紙がきた。
住所を渡したことを思い出しながら、読んでみるとそれはツーリングの誘いの手紙だった。
結局僕はそのツーリングには参加できなかったのだが、
それ以来、なにか節目の時になるとIさんを思い出し、年賀状や手紙を書くようになった。
何年も連絡しなかったり、不定期ではあったがそれはずっと今まで続いている。
僕らが言葉を交わした時間は大目に見ても1時間もなかったろう。
時間と時間の隙間で出遭ったような不思議な感覚が今の僕にもまだ残っている。


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夏休み [友達]

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去年の秋、家族3人で西伊豆に一泊旅行へ行った。
その場所は僕が高校生の頃、仲の良かった友達と夏休みを利用して
泊まりにいった場所の近くだった。ホテルの人に尋ねると、1時間もあれば着くという。
僕は東京への帰り道、ちょと寄り道をすることにした。

Kと僕は高校1年生のとき、一緒のクラスになりそれから卒業まで仲が良かった。
一緒になって調子に乗っていると、世界を征服したつもりにさえなった。
あるとき他の友人達と一緒に鎌倉へ遊びに行ったとき、
Kが「西伊豆におじさんの別荘がある。夏休みそこへ行こう!」
と話しかけてきた。即答で行こうという話しになり、それから毎年の夏の恒例行事になった。

トップの写真はまだ10代の僕らが、泳いでいた海だ。
自分の娘を抱き、奥さんを連れて同じ海を見ていると、
本当に色々なものが変わっていったな、と思う。
僕らが泳いだ海は堤防ができていたり、多少の変化はあったが
あの頃のまま水は透き通っていた。

高校を卒業してから8年ほど経ったとき、久しぶりにKから電話があった。
金を貸してくれ という。
ともかくも会おうという話しになり、僕らは久しぶりに再会した。
Kは相変わらず面白いヤツだった。
僕の部屋に泊まっていくことになり、思い出話に花が咲いた。
Kはその時、多額の借金を重ねており、彼の携帯電話に催促の電話が何度も鳴った。
僕は貸せるだけの金は貸し、このままではまずい と思い、
知り合いの社長に連絡をとり、Kを連れて行き働かせてもらうことにした。
Kは頑張ると言っていた。
だが次の日、社長からの電話で彼が会社に現れないということを知った。
すぐさまKの携帯に電話をしてみるも、当然のごとく繋がらない。
結局、Kとはそれ以来会えなくなってしまった。

高校2年の夏休み、僕はKと2人で堤防に寝そべっていた。
そのちょっと前、Kは当時付き合っていた彼女と公衆電話で話していた。
そして戻ってくると、「今、別れたよ。」
と僕に言った。
遠くの方で他のみんなが花火をして騒ぐ声が聞こえる。
誰かが後ろからタバコを投げた、と思ったら
それは流れ星だった。
僕ら16歳の夏休み。
もう二度と廻ることのない季節だな。
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友達 [友達]

友達

 この前、電車の広告で 友人から35億円の詐欺! という記事を見てちょっとおかしかった。
 額の大きさはさておき、詐欺をしたことが発覚しているのに 友人 という書き方にユーモアを感じた。
 友人から騙された、という話題性をつくるためにそう書いた部分があるのだろうけど、
 あまりに安易に友人、友達という言葉を当てはめてしまう世の背景なんかも軽く感じた。

 僕は 友達 という言葉の響きがとても好きで、自分にとって神聖な領域に入る。
 自分が触れてはいけない領域とでもいったらいいのか。ものすごい大きな存在からの贈り物みたいな感じ。
 だから 友達をつくる という響きに小さい頃から違和感があって、成長してからはその言い方がキライだ。
 偶然の産物 という捕らえ方をしているというか、作為的なものを自分の中に感じるとひどく疲れてしまう。
 だから僕にとっては異性の友達というのはホントに少ない。
 っていうかほぼいないんじゃないかな。
 僕にとっては 友達 とは同性のことであって、異性の 友達 を連発する人には 
 少し警戒してしまう。と同時に心の中に軽い反発を覚えつつ、「友達って言うな」 ってその人の 
 言い方を訂正したくなる(笑)
 
 最近の言葉の響きだと、 友達 って「利益共同体」 なんて言葉がぴったりじゃないかな。
 ちょっと長いけど。

  


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