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意思力 [日々思うこと]

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最近Web上でも「モーラー奏法」で検索をかけると多数のサイトがヒットする。
人間はとかく向上を望む生き物で、ノンビリ屋の僕でさえ、その習性は否めない。
もう少しドラムが上手くなりたい、と思い取り組み始めたモーラ奏法。
長く続けていると何事も良い事があるもので
この奏法を勉強しだしてから自分のドラミングで一番良くなってきた部分は
一言でいえばダイナミクス。
強い音と弱い音、双方の音を同じ力で演奏できるようになってきたように思う。
音楽に興味のない方にはなんだかどうでもいいような話だが、
このことは演奏する上でかなり重要な要素なのである。
以前の僕は解りやすく言うなら金槌で釘を打つ手の動きと大差ない動き、
肘の屈伸を利用した腕の動きであったように思う。
それなりに才能に恵まれていたのか、そのような理にかなっていない動きでも
そこそこに叩けていたのだが、理にかなっていないものはどこかで限界に達する日が来る。
そして限界に達すると、人は疲れを感じてしまうのである。
疲れは人間の最大の敵である。
やはり一つのことを長い間続けて行くには、
「理にかなっている」ことが何より大切だと感じる。
理にかなっていないものは何の前触れも無く、必ず容赦なく淘汰されると思うし
理にかなっているものはそれ自体が快感を伴いどこまでも、どこまでも
歩いて行けるのである。

一歳になる長男が僕のセットに座り、ドラムを叩いている。
まだ小さい彼は、精一杯手を伸ばしタムタムをシンバルを叩いている。
その小さい彼の手をじっと観察すると、腕の動き、グリップが物の見事に
モーラ奏法になっている。
肩が最初の動きの起点になり、尺骨を軸にして橈骨を回転させて
中指を中心にしたミドルフィンガーグリップでドラムを叩いている。
リバウンドをコントロールする人差し指のかけかたさえモーラそのものだ。
僕が長い時間をかけて習得した動き、グリップを
まだこの世に誕生して2年にも満たない長男が
ごく自然にやってのけている。
長男が天才だと言う話ではない。
彼にとって、僕のスティックは鉄筋のような重さであろう。
非力な彼がそのような重いスティックで「叩く」という動作をするには
骨格や筋肉など、人体の構造上
理にかなっている動かし方でなくてはできないのである。

ハイハイを卒業し、二足歩行ができるようになった1歳〜2歳くらいの子供の
立ち姿は本当に美しい。
彼らの骨、筋肉はまだまだ未発達である。
であるが故に、どこにも力みを感じさせず、
すっく と立っている。
重い頭をまるで背骨という棒に乗っけてそれを落とさないように
バランスをとるような
それでいて重心は骨盤にしっかりと乗っているような
本当に美しい立ち姿で、
これはどの子にも共通していることのように思う。

人は元々美しく、理にかなっている存在であると思う。
小さな子供はなによりもその事を僕の目の前で表現し、実証してくれている。
「意思」など無用だ。
「意思力」の力などたかが知れている。
こうしてやろう、ああしてやろう、などという企みが
背骨を曲げ、骨盤を歪め、快感を奪い、感動を妨げている。
ただ ただ 
祝い そして踊り 泣きわめき 酔いしれて
捧げる。
そんな毎日でありたいな
などと思う今日この頃である。

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