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pp(ピアニッシモ) [日々思うこと]

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↑駅近くの薄暗い路地に小さく咲いていた。

先日、某クラッシック系の音楽雑誌の表紙に
「あの娘のフォルテはなぜうるさいか」
という表題を見て、
思わず手に取った。
詳細は省くがその中の記事に感銘を受けた。

楽器(この記事ではピアノ)のフォルテは
あるレベル以上は絶対に上がらない。
表現する上でのダイナミクスの幅を広げたいなら
フォルテではなく、ピアニッシモでの表現を探るべき。
その探求はある意味無限大である。

これには二重にやられた。
一つは単純に楽器表現での話。
自分の楽器の物理的なフォルテを
勘違いしたまま続けるのは
非常に危険だ。
原因が単純なだけにそうと気がつかず
根本的に不可能なことを実現しようとして
練習を重ねてしまう。
僕の楽器ドラムは基本的に他の楽器にマスキングされた音、
電気的に増幅された音とミックスして楽しむ楽器なので
フォルテを勘違いしやすい。
ギターアンプにもマックスがあるように
ドラムセット自体にも音量の限界はあるのだから。
「ピアニッシモでの表現の探求は無限大」
という言葉はこれからプレイしていく上でも
肝に銘じていきたい。

二つめはもっと社会的にというか。
今周りを見渡すと
熱病にかかっている人が多いと感じる。
皆、社会的な経済的な大成功を夢見ている。
分かりやすく言うなら‥‥‥‥
社会的にやりがいのある仕事につきたい
高級車が欲しい
映画のような結婚生活をしたい
カリスマに、ヒーローに、スターになりたい。
その他、無限大。
まあ日本のような経済至上主義的な思想のもとに
小さい頃からこの国で育ってきたら
当然の結果というべきか。
もちろんそういう目標というか、夢は大切だ。
僕もよくロト6一等2億円が当たった白昼夢を見て
一人ニヤニヤしていたりする(笑)
ただそうならないからといって
自ら不幸になっていく人が多いと感じる。
これらは皆音楽表現におけるフォルテの競争のようなものではないか。
誰もが皆、自分の音を強く響かせることばかり考えている。
遥か昔、地球上を支配した恐竜は何故滅びたのだろう。
このままではそう遠くない未来に
地球上の全ての物を食い尽し、破壊尽くして
人類は滅びるのかな、
そんな風にぼんやり思ったりもする。

もっともっと社会全体が地球全体が
ピアニッシモの表現を探る探求にステイタスを
感じられるようになっていったらいいな。
幸せとはほんとに何気なく、静かに
そして目の前にあるのではないのか。
そう感じられる繊細な感受性が
自分を、他者を、
不幸から守ってくれるのではないのかな。

自分の経験上、
楽器のことを通してしか
はっきりとしたことは言えないのだが、
ピアニッシモは難しい。
ただ大きな音を出すのは初心者でも出せるのである。
小さい音はそうはいかない。
ドラミング的観点からすると
小さい音を出すほうがむしろ体力は必要なのである。
そして本当のフォルテも、また難しい。
真のフォルテは全ての悪を葬る必殺の一撃だ。(笑)
うるさい音と強い音
ただ小さい音と繊細な音とは
似て非なるものだと思う。
さて今日もまた
「小さな幸せ」
を楽しもうっと。








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